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2015年 05月 12日

白州正子の夫と白洲次郎の妻と『白洲正子自伝』

きのう番組を紹介した三宅一生さんは、
若い頃に白洲正子に会っています。
銀座で「こうげい」というお店をやっていたころ、
若き三宅一生がよく訪ねてきた、とありました。


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「こうげい」の店にて

変わり種には三宅一生さんもいた。「こうげい」に遊びにきた頃はまだ大学生で、身体も弱そうに見えた。その頃は珍しかったデザイナーを志しているとかで、はたしてこのようなか弱い青年が、困難な仕事に耐え得るかと心配したが、ごらんの通りの世界的なクリエイターに成長したのは喜ばしいことである。〜デザイナーの仕事はよほど彼に合っているらしく、大人になってからは心身ともに健康になった。

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プリーツの衣服で

白洲正子さんもしじら織りのシリーズや
プリーツの服をきて雑誌などに登場しています。

白洲正子を読んだのは、25年以上前のこと。
随筆集も次々と出版されたこともあり、よく読みました。

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ざっと本棚から

きものや工芸、骨董、お花、お茶、その審美眼、育ち、暮らし方、
こんな人が日本にもいるのだな、とひたすら感心していました。

今回amazonのレビューをみて、軽いショックを受けました。

「白洲次郎の妻」と書いている人が何人もいたからです。
白洲正子さんが鬼籍となってから、白洲次郎が再評価されて、
その著書や生き方が注目され、ドラマにもなりましたね。
伊勢谷友介さんが次郎を演じていました。
きっとそれ以降なのかな、と思いました。

「白洲次郎の妻」と書く人が増えたのは。
それまではどちらかというと、
白洲次郎は「白洲正子の夫」でした。

白洲正子が文を書くようになったのは50を過ぎてから。
いわゆるブレークしたのはおそらく70代です。
次郎は正子の活躍を喜んでいたようです。
生きている間あまり表だったことをしようと思わない人だった。

あらためて、かっこいいとはこういうこと、なのだと思いました。

⚫︎
自伝は芸術新潮に1991年1月から1994年8月まで連載されました。
あとがきにもありますが、
正子は過去に全く興味を持っていなかった、とあります。
世間の人が面白いと言ってくれるので、あなた任せの心境なのだと。



勝手な感想と覚えていることを少し。

竹を割ったような性格はお国柄、薩摩示現流の一撃必殺からきているのだな。
唯一日本が華族階級のよき時代を持てた時期に子ども時代だった、ゆえにお姫さま。
でも性格は、男ですよね。
家の応接間に黒田清輝の絵があった。いまは国立近代美術館蔵のはず。
信頼していたお手伝いさんが新潟・小千谷出身の人だった。びっくり。
女性で能舞台に立った人。腰が違う、お能は男でないと無理、と言い切った潔さ。
一目ぼれで結婚したことに、なぜかビックリ。


おふたりが亡き後、娘の牧山桂子さんや孫の白洲信哉さんが、
残された欠片から、まだまだふたりを知りたいという人にむけて、
饒舌でなかったふたりの代わりにその精神を伝えようと活躍されています。


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山のあちらこちらに藤の木、単独で咲いている場合が多いかな


#858 山道をドライブ、この季節藤の花が満開。こちらに来るまで樹木に垂れる藤を知りませんでした


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by hiyoriya1410 | 2015-05-12 22:32 | 身辺雑想 | Comments(0)


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