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2018年 02月 13日

石牟礼道子さんと『苦海浄土』

2月10日、石牟礼道さんが亡くなりました。


『苦海浄土』。
ずっと関心がありながら近づけないものでした。



2016年にEテレ【100分で名著】で取り上げられ4回の番組をみました。

その番組で朗読していてた文(以下引用)を聞いて、なぜか涙がでてきたものです。

「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身縛っておりましたが、見るのも辛うて。
  それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守しとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾うとしよりましたです。曲がった指で地面ににじりつけて、肘から血ぃ出して、
『おかしゃん、はなば』ちゅうて、花びらば指すとですもんね。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
  何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、文ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びら一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に」
(「花の文をー寄る辺なき魂の祈り」『中央公論』2013年1月号)


本そのものを読まずに、(きっと読んでも)なにも語ることなどできないのですけれども、
そしてやはり『苦海浄土』は「読めない」本なのかもしれません。

この時の番組の解説をしていたのは、批評家の若松英輔さんです。
彼が、こんなことをテキストに書いています。

私たちは必ずしもこの作品を読み通す必要はありません。「読めない」のは、そこで立ち止まらなくてはならないからです。読書は旅です。むしろ読み通すことのできない本に出合うことこそ喜びなのではないかと思います。「読めない」というのはじつに深遠な言葉との交わりであり、また豊穣な芸術の、あるいは人生の経験であることを忘れないでいただきたいと思います。



立ち止まる理由を自分ではわかっている気がします。

ご冥福をお祈りいたします。


#648 軽い小さな雪がたくさんふってきます
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by hiyoriya1410 | 2018-02-13 21:03 | 読書のまわり | Comments(0)


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